銭湯のある暮らし

こんばんは〜、UDです。

今回は、「銭湯のある暮らし」について書きます。

銭湯といえば、どんなイメージをお持ちでしょうか。

「地域のおじいちゃんとかおばあちゃんしか通っていない寂れたもの」、
「ほとんどの住宅にお風呂が普及した現代社会からすれば旧時代のもの」、
「いずれ社会から消えていくだろうもの」

なんていうイメージが少し前までは一般的だったと思います。

最近だと、若い人たちによって「東京銭湯」や「銭湯図解」などに代表されるように銭湯の価値を再発見して発信する運動が起きてきていて、日本が誇る『銭湯文化』として「イケてるもの」、「継承されていくべきもの」というポジティブな位置付けにも変わってきたように思います。

前の記事でも書いたとおり、僕たちがルームシェアをしていた神楽坂の部屋は、『熱海湯』という銭湯から歩いて30秒という立地にありました。

銭湯を使ったことがあまりなかった僕でさえ、熱海湯の古きよき威風堂々とした佇まいに惹かれました。部屋選びを決め兼ねていた僕たちの背中を押したのもこの熱海湯の存在でした。

正直、現代において、銭湯がなくても生きていくことに困ることはありませんが、
2年間銭湯の近くに暮らし、ほぼ毎週のように通うようになって、僕が感じた『銭湯がまちにあることの意味』について書いていきたいと思います。

0-1.僕と銭湯

思い返せば、高校生の頃、

戦後すぐに建てられた実家のお風呂が壊れて改修することになったある夏の1週間ほど、家族で銭湯通いをしたことがありました。

家から徒歩5分くらいの距離に銭湯があって、そこまで毎日じいちゃんと通った思い出があります。

実家のお風呂の改修が終わってしまえば、当然、銭湯に通うことはなくなりましたが、
僕が住んでいた荻窪には、家から駅までの道中にまた別の銭湯の黒ずんだ煙突が立っていて、意外と身近に銭湯の存在があったように思います。

そして、新社会人となった2018年、神楽坂に住むこととなった僕は、銭湯と再会したのです。

0-2.神楽坂の銭湯「熱海湯」

神楽坂の熱海湯は、メイン通りから一本裏に入った「小栗横丁」沿い、石畳の細い路地とぶつかる角に立っています。

建物はがっしりとした木造で、趣があり、お風呂は熱々のお湯が一種類だけという、まさに「The 昭和の銭湯」といった感じです。

僕たちは、神楽坂に住んでから毎週木曜の夜に「Public Running」(またの名を「公共ラン」。皇居ランをしながら周辺の都市開発で生まれたパブリックスペースを巡り都市を観光しながら走ることを勝手にそう呼んでいました。また他の記事で紹介できればと思います。)をしていて、そのランニングで流した汗を熱海湯で洗い流すことが定番コースになっていました。

必ず毎週走れていたわけではありませんが、ほとんど毎週走っていたので、熱海湯に通うこともまた習慣となったわけです。

1.銭湯に地域のコミュニティはあった!

銭湯というと、「地域のコミュニティが生まれ、育まれる場所」として語られることがしばしばあります。建築学生の頃の設計課題でも、銭湯を題材としてまちをより良くしていくという提案をよく目にすることがありました。

ただ、銭湯を使った事のなかった当時の僕からすれば、「銭湯は大事だ!」と主張する人を見て、あまりピンと来きませんでした。「本当にコミュニティがあるの??」と少し疑っていたくらいには。

今となっては、当時の僕に教えに行ってあげたいと思います。

銭湯には確かに地域のコミュニティはありました

それでは、なぜ、銭湯にコミュニティが生まれるのか。

コミュニティを生む銭湯の特徴として、次の3つのことが言えるのではないかと思います。

① 銭湯ならではのコミュニケーション

銭湯の番頭のおじさんとおばさんが常連のお客さんとたわいもない会話をしていたり、脱衣所のテレビを見ながら野球選手にブツクサ文句を言ったり、ニュースに口を出したり。

ただお風呂に入りに来るだけだけど、そこにはやっぱりコミニュケーションがあるんですね。

新参者の僕らでも、通い始めて2,3回すると、常連の蕎麦屋のおじいさんと話すようになりました。

初めの頃は、熱々のお湯に慣れずにビクビクしているところから、何気ない会話が始まりました。お風呂の浸かり方や銭湯の暗黙のルールをさらっと教えてくれたり、次に会った時には脱衣所で挨拶をして「気持ちいい兄ちゃんだね」なんて言ってくれるおじいさん。

「今日もあのおじいさんいるかな」、なんて思ったりと、銭湯での出会いは、銭湯に通う楽しみを増やしてくれるのでした。

② 新参者も受け入れる環境

コミュニティという言葉はいい響きですが、ある種の排除性を孕むという悪い面もあります。

が、しかし、銭湯は確固としたコミュニティではあるものの、新参者に対して排他的ではない、と感じました。

実際に、これまで銭湯で言葉を交わした人たちは皆、気さくに声をかけてくれましたし、新参者だからといって変な顔をされたことももちろんありませんでした。

きっとそれは、「裸」だからなんだろうと思います。

髪を整えてなければ、
メガネも時計も付けてない、
服はもちろん着ていない。
見た目から分かる情報がほとんど皆無なのです。
予想できることといえば、年齢くらい。

だからこそ、かしこまらないで、いろいろ話せるような気がします。

③ 地域のゆるい繋がりが生まれる場所

銭湯の魅力は、いつも来る人(=常連さん)と会えるということだけではありません。たくさんの一期一会があるんです。

飯田橋駅前のビル「ラムラでペルシャ絨毯を売っているイラク人のおじさんからきゅうりの巻き寿司をもらったり、近くに住む昔俳優だったというおじいさんにまちの歴史を教えてもらったり、小さな出版社の若い編集者と仕事の大変さを語りあったり。。。

普段は出会わない人と、同じ浴槽に浸かっているだけで、ふと会話が始まる。

それが銭湯の不思議な魅力です。

こうして、銭湯が、地域に住み、訪れる人々をゆるく繋いでくれているのだなと思うと、隣人の顔すら見たことないという人が大概の現代の都市においては、とても貴重な場所だと思うのです。

2.銭湯はまちのリビング

銭湯は、まちのお風呂である。

というのは当たり前の話で、僕に言わせれば、銭湯はまちのリビングでもあるんです。

こう言い切るのは、地域の緩いつながりが生まれる場所ということも関係ありますが、もう一つ理由があります。

それは、僕自身、テレビのために銭湯に通っていたということです。

というのも、僕たちはルームシェアをしていた部屋にテレビを持ち込んでいませんでした。

「テレビがない暮らし」というのは、それはそれは快適なんです。テレビがなくても大抵のことはスマホやパソコンで調べることができる時代ですから(話が逸れました、、。これもまた別の記事で書こうと思います)。

ただ、テレビがなくて困るのは、スポーツのリアルタイム中継を見れないということ。

奇しくも、
2018年はサッカーワールドカップ 
2019年はラグビーワールドカップ の年でした。

神楽坂には、スポーツ観戦ができる居酒屋がもちろんそこかしこにあるのですが、僕は積極的に銭湯を利用していました。

サッカーの試合を見るために、銭湯にいく。
そして、ついでにお風呂に入る

広い脱衣所の高いところに備えつけられたテレビで、観戦者の年齢層は若干高めだけど、みんなで見るスポーツというのもなかなか良いんです。

「ホンダ、行け!アモーレ、行け!」

と、長友選手のことだけ名前じゃなくて「アモーレ」と呼ぶおばちゃんの声はもう一生の思い出です。笑

銭湯は、お風呂だけじゃなくて、リビングの機能も持っているんですね。

3.まとめ

「銭湯のある暮らし」、結構良いものじゃないでしょうか?

銭湯は、単なるまちのお風呂というだけじゃなくて、まちに住む「家族」が夜に集まり、団欒し、1日の汗を洗い流す場所なんです。

汗を洗い流す代わりに、ゆるい繋がりが紡がれる。

そこには、裸の魔法のおかげか、排他的ではなく、年齢も国籍も常連か新参者かも問わず、すべての人を包み込む温もり、いや、熱々のお風呂があるのでした。

***

toshinismでは、ルームシェア生活での発見や気づきを軸に、広く都市に住まうことについて発信していく予定です。

皆さんが当たり前に行っている日々の暮らし。

それは、たかが暮らし、されど暮らし

まずは、多様な暮らしのなかの小さな気づきなどを通して都市に住まうことの豊かさを考える記事を “〇〇のある暮らし”というタグで書いていきます。

ご興味関心のある方はどしどしご覧ください〜

それではまた

筆:UD

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